御菓子処港屋(みなとや)は岐阜県多治見市にて昭和25年(1950)創業し、令和元年(2019年)創業70周年を迎えました。
これもひとえにご愛顧頂いておりますお客様のご支援あってこそと厚く御礼申し上げ致します。
大福、羊羹、最中、求肥など伝統的な和菓子の製造販売店です。法事等の行事用から一般家庭の普段使い、お歳暮等のギフトご贈答まで。
多治見市内・近郊のみならず、名古屋や岐阜、東京や九州など遠方からのご注文頂いております。
確かな和菓子製造技術と商品開発力でお客様に益々のご愛顧いただけるよう精進してまいります。
話は「初代・長谷川柔右衛門」までさかのぼります。
長谷川柔右衛門は愛知県名古屋市港区にあった「港屋」へ丁稚奉公に行きました。そこでの業績が認められ暖簾分けをいただくこととなりました。当時、暖簾分けを受けるという事は容易では無かったようです。
その後、第二次大戦後に岐阜の山間の町中の多治見市滝呂町に根をおろし、「港屋」と名付けた「御菓子司港屋」が誕生しました。
そして現在の「御菓子処港屋」(2019年09月改名)へと繋がるのです。
※写真は以前の改装時の写真(昭和52年)
【港屋自慢の逸品・栗大福】
1994年(平成6年)全国菓子博覧会(金沢菓子博)菓子博栄誉賞受賞
2008年(平成20年5月10日)第25回全国菓子大博覧会(兵庫)にて、名誉総裁賞(芸術部門)を受賞致しました。
大福の中の栗が絶品で日本全国からの広くご注文頂いております。
港屋代々の自慢の代表作です。
明治28年岐阜県可児市に長谷川柔右衛門誕生。21歳の時名古屋市港区の「港屋」へ丁稚奉公に出る。
その際練り羊羹で一等賞を受賞する等の業績が認められ暖簾分けを受ける。当時暖簾分けをされる事が容易では無かった為、岐阜県の山間の町の中でありながら「港屋」と名付けた。結婚後岐阜県多治見市本町で開業し10年程で閉店。その後、親戚を頼って滝呂町に住む。
第二次世界大戦の激動の最中には運送業で家族を支え、戦後の昭和25年、「港屋製菓舗」を開業する。
昭和15年長谷川文雄誕生する。中学卒業後名古屋市「鶴亀堂」で修行し、昭和36年2代目となる。
昭和49年店舗改装。
昭和59年店舗改装。バブルの時代で様々な企業が社名をカタカナや英語、短縮する傾向にあった為「御菓子司 港屋」に変更した。
平成6年店舗新築。「御菓子処 港屋」の看板を掲げる。その後再び「御菓子司 港屋」とする。
2008年栗大福で全国菓子博覧会で名誉総裁賞を受賞する。
2019年9月長谷川和義三代目となる。「御菓子処 港屋」とする。
1895年(明治28年) | 岐阜県可児市に長谷川柔右衛門 誕生。 |
1916年(大正5年) | 21歳の時名古屋市港区の「港屋」へ丁稚奉公に出る。その後岐阜県瑞浪市~多治見市本町で創業するが諸事情で閉店。 |
1940年(昭和15年) | 長谷川文雄誕生。 |
1950年(昭和25年) | 長谷川柔右衛門、岐阜県多治見市に「港屋製菓舗」を開業。 |
1955年(昭和30年) | 長谷川文雄、中学卒業後名古屋市「鶴亀堂」で修行。 |
1961年(昭和36年) | 長谷川文雄、2代目となる。 |
1974年(昭和49年) | 店舗改装。 |
1984年(昭和59年) | 店舗改装。「御菓子司 港屋」に変更。 |
1994年(平成6年) |
店舗新築。「御菓子処 港屋」の看板を掲げ、再び「御菓子司 港屋」とする。 |
2008年(平成20年) |
栗大福で全国菓子博覧会で名誉総裁賞を受賞。 |
2019年(令和元年) |
長谷川和義が三代目となる。「御菓子処 港屋」とする。 |